八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発エリアを歩くと常に江戸時代の跡地に出会うが、今回は北町・南町奉行所とそこに出入りする与力・同心について整理した。
江戸時代x北町奉行所x南町奉行所

- <北町奉行所>
ブログ内「八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発 x ラグジュアリーホテル」で取り上げたシャングリ・ラホテルが入る丸の内トラストシティ本館の東側歩道に、復元された石組みの溝と解説板が設置されている。
北町奉行として有名な人物として高橋英樹や松方弘樹が演じた「遠山の金さん」のモデル・遠山左衛門尉景元がいる。幕末の北町奉行で、天保の改革に反対して僅か3 年で罷免される。その際、町人の生活や娯楽を守ったため、「金さん」の芝居が盛んに上演され人気を博した。後に南町奉行に返り咲き7年務めた。







北町奉行所x南町奉行所x与力・同心


以下が文面。
八丁堀の与力・同心組屋敷跡
所在地 中央区八丁堀一~二丁目、日本橋茅場町一~三丁目の一帯
江戸初期に埋め立てられた八丁堀の地は、はじめは寺町でした。寛永十二年(一六三五)に江戸城下の拡張計画が行われ、玉円寺だけを残して多くの寺は郊外に移転し、そこに与力・同心組屋敷の町が成立しました。その範囲は茅場町から八丁堀の一帯に集中しています。
八丁堀といえば捕物帳で有名な「八丁堀の旦那」と呼ばれた、江戸町奉行配下の与力・同心の町でした。与力は徳川家の直臣で、同心はその配下の侍衆です。着流しに羽織姿で懐手、帯に差した十手の朱房もいきな庶民の味方として人々の信頼を得ていました。
初期には江戸町奉行板倉勝重の配下として与力一〇人、同心五〇人から始まってのち、南北両町奉行が成立すると与力五〇人、同心二八〇人と増加し、両町奉行所に分かれて勤務していました。与力は知行二〇〇石、屋敷は三〇〇~五〇〇坪、同心は三〇俵二人扶持で、一〇〇坪ほどの屋敷地でした。
これらの与力・同心たちが江戸の治安に活躍したのですが、生活費を得るため町民に屋敷地を貸す者も多く、与力で歌人の加藤枝直・千蔭父子や医者で歌人の井上文雄などの文化人や学者を輩出した町としても知られています。
平成十三年三月
中央区教育委員会