八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発を整理していると、今でも川に架かる一部の橋と、川が既に埋め立てられ地名として残る多数の橋に遭遇し、自然とそれらの歴史に思いをはせることになる。
八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発x川に架かる橋

日本橋川に架かる橋
三井不動産が推進する初の川沿い再開発事業となるブログ内「日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発 三井不動産 日本橋再生計画」がスタートし「首都高速道路日本橋区間地下化事業」に伴って「豊かな水辺の再生」へ繋がることになる。
ブログ内「八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発x日本橋の首都高地下化工事スタート」は既に工事に着手している。以下の図にあるように、首都高が地下化される神田ジャンクションから鎧橋までの1.8㎞のうち、新常盤橋のあたりから江戸橋ジャンクションあたりの約1.2㎞が地下化されることになる。

- 新常盤橋
ブログ内「「八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発x日本橋の首都高地下化工事スタート」(地下化計画が2035年で現在の首都高撤廃が2040年)の地下化されるのはこのあたりから。





- 西河岸橋


- 江戸橋








- 湊橋



隅田川に架かる橋






歌川広重の「永代橋深川新地」(東都名所)。右上の佃島の上に富士が描かれている。江戸時代の永代橋は、現在の架橋位置から100mほど上流にあった。永代橋は多くの浮世絵に描かれている。
亀島川に架かる橋
- 霊岸橋
亀島川が日本橋川から分かれると 直ぐに日本橋水門があり 霊岸橋はその水門に近い下流にあって 亀島川に架かる1番目の橋 で1985年に完成した。永代通りが走り、新川1丁目と日本橋茅場町1丁目を結んでいる。日本橋水門は 霊岸橋に大変近い上流側にあって 亀島川河口にある亀島川水門と共に 新川地区が水害に遭わないようにする役割を担っている。
江戸初期の寛永年間(1624-1643)に霊巌上人がその法力をとって当時海だった江戸八丁堀を陸地にし、そこに霊巌寺というお寺を建て、この地を霊巌島と呼ぶようになったという言い伝えがある。霊巌寺は明暦の大火事後は深川に移転。
2020年11月14日(土)ににっぽんの洋食 新川 津々井という人気洋食店が「八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発x有吉くんの正直さんぽ」に登場した。霊岸橋を茅場町駅方面を背に渡り、新川1丁目の信号を右折すると見えてくる。

上の写真の手前右側にはブログ内「八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発x「復興建築 モダン東京をたどる建物と暮らし (味なたてもの探訪)」」で取り上げた第二井上ビルがある。ブログ内「八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発 x アート x百貨店・画廊」で取り上げた画廊・ギャラリー須知が入っており、阿部寛主演の「まだ結婚できない男」でも使われたビルだ。
- 新亀島橋
新亀島橋の名前は この橋の下流に位置し 元禄の時代から架かる亀島橋に対して新の字を冠し 新亀島橋と名が付けられた。江戸時代には町奉行配下の与力たちの屋敷が並び また亀島川に臨む亀島町は水運を活用していたであろう米穀問屋が多い町だった。


2020年11月14日(土)にマイヨールという人気イタリアンが「八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発x有吉くんの正直さんぽ」に登場した。亀島橋を新川に向けて渡る前を右折したところにある。亀島橋を渡る前なので住所は新川でなく八丁堀となっている。



- 高橋
八丁堀4丁目から新川2丁目へと鍜治橋通りを走る。江戸期には「高橋」が亀島川に架かる最下流の橋であったため 上流にある亀島橋まで船が往来できるよう 橋脚の高い橋を架けたことが橋名「高橋」の由来という。



- 南高橋
現在の南高橋の地には江戸時代には木橋は架橋されておらず、亀島川上流に高橋があったのみだった。大正12年(1923)の関東大震災ののち、街路の大規模な区画整備が行われた時に竣工された。
