築地中央卸売市場跡地再開発x築地エリアの変貌


東京オリンピック・パラリンピック後に議論が本格化する築地中央卸売市場跡地再開発と築地エリアの変貌についてこの記事の中で常にアップデートしていく(最新アップデート2023年9月)。

築地中央卸売市場跡地再開発x築地エリアの変貌

ブログ内「八重洲~日本橋・茅場町周辺再開発タイムスケジュール」では主に2021年から2029年、さらにはその先に竣工予定の再開発をリストアップしているが、同じ中央区内で「築地中央卸売市場跡地再開発や築地エリアの変貌」にも非常に興味を持っている。ブログ内「築地地区まちづくり協議会x築地周辺再開発」で取り上げた「築地地区まちづくり協議会」の動向を今後も注視していきたい。
 
最大の変貌は築地中央卸売市場跡地再開発となるだろうが、築地全体の変貌は築地本願寺、築地場外市場、聖路加通りから明石町にかけてなど既出の変貌や、元電通本社跡地を中心とした築地一丁目再開発築地アメニティ構想など今後数年~20年単位の変貌で成り立っている。
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築地は1丁目~7丁目まであり、江戸時代に埋め立てられた。元築地中央卸売市場の北側にある新大橋通りと銀座に通ずる晴海通りの交差する築地4丁目交差点が賑わいの中心で銀座、汐留、八丁堀、勝どき(隅田川を超えて)に囲まれている。
 
以下は解体前の写真。
 
勝鬨橋から築地中央卸売市場を撮影
勝鬨橋から築地中央卸売市場を撮影
 
以下、築地中央卸売市場跡地再開発、築地本願寺の変貌、築地場外市場の変貌、聖ルカ通りから明石町にかけての変貌、築地市場跡以外のビッグプロジェクト、についてそれぞれ詳述する。
 
 

築地中央卸売市場跡地再開発

 2016年にブログ内「築地 東京中央卸売市場跡地再開発(1)概要」(2~10も添付)や「築地中央卸売市場最後の日」で築地の魅力や周辺環境について取り上げたが、今後は東京オリンピック・パラリンピック後に本格化する議論含めて別途アップデートしていき、この記事内で総括する。
 
現状は「築地中央卸売市場跡地再開発、2022年度に東京都が事業者公募」という記事にあるように、今後の展開が待たれるところだ。
 
築地市場跡地(面積約23㌶)は、都が敷地に定期借地権を設定し、民間事業者に貸し付けて再開発を実施する。将来像として、浜離宮恩賜庭園や銀座、隅田川などに近接する地域のポテンシャルを生かし、国際会議場の機能を中核とした文化・芸術・テクノロジー・スポーツ・ウェルネス(健康増進)などの機能が融合した拠点に成長させたい考え。
 
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築地本願寺の変貌

築地本願寺はコロナ禍前のインバウンド人気を築地場外市場と共にリードしてきた。浄土真宗本願寺派の寺院。京都市西本願寺の直轄寺院で、東京メトロ日比谷線築地駅に直結している。

築地本願寺の変貌ぶりはビジネスマン僧侶で有名な安永 雄彦氏の「築地本願寺の経営学」に詳しいが、2000年頃から定点観測している身としては集まる人の数を見るだけで(コロナ禍前)容易に分かる。

 

江戸切絵図で知る築地本願寺
 

佃島の南の海(明石町の沖)からから築地本願寺本堂の大屋根を見る。手前はブログ内「八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発 x主要道路  x新川から隅田川へ」で取り上げた江戸有数の漁場、江戸湊である。

江戸百景余輿 鉄炮洲築地門跡を新しいウィンドウで開きます。

新大橋通り挟んだ対面にはブログ内「八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発 x 中央区 x 小学校特認校制度」で取り上げた京橋築地小学校がある。

 
 

築地場外市場の変貌

築地場外市場は銀座や新橋から程近く、新大橋通りと晴海通りの交差点の南西エリアを中心に約500店舗が以下の地図の範囲で軒を連ねる。築地場外市場は今後隅田川の向こうのパークタワー勝どき2棟(2024年竣工予定)、月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業  (2026年竣工予定)、月島三丁目南地区市街地再開発(2026年竣工予定)、豊海地区第一種市街地再開発事業(2026年竣工予定)で勝鬨橋・佃大橋・築地大橋経由で築地を訪れる人が格段に増えて行くと思われる。

築地場外市場アクセスマップ

築地4丁目交差点から築地場外市場方面
2021年5月5日午前。コロナ禍のもんぜき通り。

主要施設にはブログ内「祝・築地魚河岸オープン(2016年11月19日)、矢田中央区長挨拶も小池都知事は?」で取り上げた築地魚河岸がある。従来、「場外市場」は総菜店、飲食店が多く、生鮮品を扱う築地市場と補完関係にあり、築地市場の移転で近くで生鮮品を扱う店が少なくなることから、「築地魚河岸」を開設することになった。

晴海通り沿いの築地魚河岸。

ブログ内「隈研吾氏 築地にも現る!築地KYビル改装のデザイン・設計を手掛ける」で取り上げた築地KYビルも主要施設の1つだ。

築地4丁目交差点にある築地KYビル

波除稲荷神社は1659年に創建され市場外(築地6丁目)にある。明暦の大火後、築地の埋め立て工事が行われたが、荒波の影響で工事は難航した。その最中のある晩、光を放ち漂う御神体が見つかり、社殿を建て祀った。その後、波が収まり工事が順調に進んだことから、以降厄除けの神様として信仰を集めることとなった。

 

聖ルカ通りから明石町にかけての変貌

2018年にブログ内「東京23区内駅直結マンション駅直結度比較(1)東京メトロ日比谷線築地駅直結 「アネシア築地ステーションレジデンス」(東京23区内駅直結マンション駅直結度比較一覧)」で取り上げたアネシア築地ステーションレジデンスに付随する東京メトロ日比谷線出入口を出ると新大橋通りから聖ルカ通りを経て聖路加国際大学・聖路加国際病院・聖路加ガーデンのある明石町に至る。

明石町は、港区によくあるように丁目がなく、外国人居留地 (「江戸・東京デジタルミュージアム」)があった歴史的な場所でもある。作家・池波正太郎も「銀座日記」の中で大好きなエリアと記していた。

アネシア築地ステーションレジデンス

 
 
 
 
明石町に向かう聖ルカ通りを挟んだ築地川公園は北側・南側とも改修され、芝生と緑で多くのベンチで開放的で気持ちいい空間となっている。
 
築地川公園(北側)
聖路加病院、聖路加ガーデン方面
 

 

築地市場跡以外のビッグプロジェクト