現在、東京オリバラ用に使用されている築地市場跡地ではまず、江戸時代の庭園「浴恩園」の発掘調査が待っている。老中松平定信(1785~1829)が下屋敷の庭園として整備した。
築地中央卸売市場跡地x江戸時代の庭園「浴恩園」x老中松平定信
ブログ内「八重洲・日本橋・茅場町周辺再開発タイムスケジュール」では主に2021年から2028年、さらにはその先に竣工予定の再開発をリストアップしており、同じ中央区内のブログ内「築地中央卸売市場跡地再開発x築地エリアの変貌」にも非常に興味を持ってフォローしている。
松平定信による整備後の歴史や絵図などの詳細は東京新聞の2019年5月30日の記事や2021年7月14日の記事に譲るが、「浴恩園」は東京オリバラ後、東京都による築地市場の再開発に先立って発掘調査が行われる。
個人的には発掘場所である程度時間はかかってもできるところからしっかり再開発を進めて欲しい。コロナによる財政状態悪化からも東京都もあまり悠長なことは言ってられないだろう。
以下、東京新聞記事より。

築地市場跡地x銀座・築地プロムナード構想
築地市場跡地は「ブログ内 銀座・築地プロムナード構想=「東京高速道路(KK線)再生方針」x「築地川アメニティ構想」とも密接につながっている。
以下の地図にある隅田川に向かっての「みどりと水辺のプロムナートを結ぶ回遊動線」としては主に2つの動線が示されているが、1つは築地川アメニティ構想エリアからブログ内「築地中央卸売市場跡地再開発x築地エリアの変貌」の中の「聖ルカ通りから明石町にかけての変貌」でも取り上げた新大橋通りから明石町に向かう動線で、もう1つは築地川アメニティ構想エリアからブログ内「築地場外市場x築地6丁目x新築ホテル建設計画」で取り上げ、築地市場跡地とも隣接もしくは一部を占める波除通りにつながる動線となる。