2つの坂の頂上の北側に旧簡易保険事務センター、南側に綱町三井倶楽部が向かい合い、荘厳でレトロな雰囲気に圧倒される。
旧簡易保険事務センター(最後の名称はかんぽ生命東京サービスセンター)
旧簡易保険局で逓信局の設計により昭和4年(1929年)に竣工。東京都内では数少ない戦前築の逓信建築でもある。社員の方は昨年大崎のオフィスに移っており、今後売却されるのかも含めてどのような取り扱いをされるか注目される。特に向かいの綱町三井倶楽部を保有・管理し、周辺にパークマンションを複数開発してきた三井不動産の出方には興味津々。美術館でもいい。銀座歌舞伎座、交詢ビル、東京駅KITTEのように残すべき部分が残されるよう期待したい。
==>2017年5月15日、「株式会社かんぽ生命保険による固定資産の譲渡方針の決定について」が配信され、「現時点では、具体的な譲渡先、譲渡金額、譲渡時期については未定であります。また、譲渡先の決定方法については入札とすることを検討中ですが、現時点では未定であります。」とされた。
さらに、一般社団法人 日本建築学会から「旧東京簡易保険支局(かんぽ生命保険 東京サービスセンター)およびその敷地」の保存活用に関する要望書が提出されている。
==>2019年2月11日配信、港区日向坂(ひゅうがざか)x 日向坂(ひなたざか)46

綱町三井倶楽部
大正2年(1913年)12月、イギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計により完成。戦後の昭和20年(1945年)には米軍により「米軍将校クラブ」として使用され、昭和28年(1953年)の返還後は復旧整備を施し三井グループ企業による会員制倶楽部として再生し今日に至っている。江戸時代は島津淡路守の上屋敷。シンボルツリーの大銀杏が壮観。
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ジョサイア・コンドル
鹿鳴館(現在は帝国ホテル隣のNBF日比谷ビル、旧大和生命ビル)、開東閣(三菱グループが迎賓館として使用している高輪4丁目の旧岩崎家高輪別邸)、旧岩崎邸(「The CONOE <三田 綱町>vs ブリリアタワー上野池之端」)もジョサイア・コンドルの設計によるものだ。
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東京人 no.118 1997年7月号【雑誌】 特集:コンドルさんの謎 ニコライ堂、鹿鳴館の建築家 中古価格 |
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以下、(1)~(10)リスト
- 三田 綱の手引坂・日向坂(1)三田と麻布十番をつなぐ道
- 三田 綱の手引坂・日向坂(2)綱町三井倶楽部と旧簡易保険事務センター
- 三田 綱の手引坂・日向坂(3)旧公務員住宅と旧駐車場再開発
- 三田 綱の手引坂・日向坂(4)イタリア大使館、オーストラリア大使館、三田共用会議所
- 三田 綱の手引坂・日向坂(5)綱坂と神明坂
- 三田 綱の手引坂・日向坂(6)東京タワーと芝公園
- 三田 綱の手引坂・日向坂(7)マンション資産価値に対する中長期プロジェクトの効用
- 三田 綱の手引坂・日向坂(8)中長期プロジェクト(三田3丁目・4丁目、三田3丁目、三田小山町)
- 三田 綱の手引坂・日向坂(9)周辺マップ
- 三田 綱の手引坂・日向坂(10)周辺マンション