2017年 150周年事象とイベント(4)パリ万国博覧会(日本初参加)


日本が初参加したパリ万国博覧会は1867年に開催された。ブログ内のアートカテゴリーで、浮世絵や有田焼について調べていたら、自然とこのイベントに辿り着いた。

パリ万博

1867年のパリ万国博覧会は、4月1日から11月3日までフランスのパリで開催され、42ヶ国が参加し、会期中1500万人が来場した。パリでは2回目の国際博覧会で、日本は初めて参加した。1855年のパリ万博と1862年のロンドン万博で日本の物品は紹介されていたが、日本側からの出品はこれが初めてであり、しかも幕府・薩摩藩・佐賀藩・民間から総計1300箱ほどの出品という大規模な参加だった。約16万㎡という膨大な敷地面積での博覧会だった。

パリ万博を経ておこった、浮世絵をはじめとする芸術における日本ブームは「ジャポニズム」と呼ばれ江戸日本の開国後、半世紀にわたり世界を席捲した。

浮世絵の出品

目録が残っているので幕府の出品物の中には「江戸名所図会」や「東海道名所図会」、あるいは「北斎漫画」などの画帳が含まれ、民間からの出品物にもかなりの数の浮世絵が含まれていたようだ。印象派の画家たちと、浮世絵をはじめとする日本美術との強烈な出会いがあり、ジャポニスムに至った。

その構図はそれまで西洋にないアンシンメトリー(非対称性)であり、色彩、強調の仕方(デフォルメ)、平面性やそこに描かれている江戸庶民の高い生活水準と自由な生活スタイルにも衝撃を受けた。

徳川幕府も100枚の肉筆画を、歌川派10人に依頼して持って行った。よく「印象派の画家は見識がない、歌麿や春信を模写していないから」といわれるが、パリ万博で印象派の画家が接した浮世絵は歌川派で、喜多川歌麿や鈴木春信にはついぞまみえなかった。

古典派、バルビゾン派、印象派の画家は浮世絵を積極的に買い求め、浮世絵の技法を研究し、自分の画風に取り入れた。マネ、モネ、ドガ、ホイッスラー、ゴッホ、セザンヌ、ルノワール、ゴーギャン、ベルナール、ロートレック、クリムト、シーレは浮世絵の構図、分割、非対称性、色彩調和法、強調性、平面性、装飾性を取り入れた。

 

中でも、筋金入りの浮世絵好きで知られるゴッホは熱心な収集家でもあり、現在、オランダ・アムステルダムにあるゴッホ美術館には、ゴッホと弟テオが所有していた計477点の浮世絵が収蔵されている。以下、「浮世絵 基礎の基礎早見表 」から関連箇所を取り上げた。

歌川広重

ゴッホモネに最も影響を与えた浮世絵師。風景画を好むゴッホは浮世絵の3点模写し、内2点が広重の作品。モネの『睡蓮』にも影響。これらも「原安三郎コレクション広重 ビビッド」で鑑賞できた。

歌川国貞

ゴッホは『タンギー爺さん』(3枚のうち2枚で浮世絵を描いた)の背景に多くの浮世絵を模写しており、広重の絵とどもに、国貞の『三世岩井粂三郎の三浦屋高尾』も描かれている(2枚とも描かれているのはこの絵のみ)。 

 

有田焼の出品

明治期の有田焼は、ヨーロッパを中心に盛んに開催された万国博覧会で名声を得た。
1867年のパリの万博には、佐賀藩は幕府の要請で薩摩藩とともに参加した。それ以来、ジャポニスムの流行はパリからヨーロッパ各地へと伝播し、出品された作品も大好評で、
その後1873(明治6)年のウイーン、1876(明治9)年のフィラデルフィアなど、次々に万博への出品が行われ、香蘭社精磁会社(十数年で消滅)、深川製磁などが金賞・金牌などを獲得した。この時代の万博への積極的参加が、海外での有田焼の評価に影響を与えたことは、言うまでもない。

ブログ内有田焼関連

浮世絵、有田焼に関しては、世界に誇る日本人芸術家の作品を結集したシンボリックな美術館を東京に創設できないかの中でブログ内記事を整理してある。

2017年の150周年事象とイベント

2016年 150周年事象とイベント(1)全リスト、(2)~(5)も添付